消えた漫画と悪戯な子供

昨日立ち寄ったレストランに、父が昔集めていた漫画が全巻揃っていました。しかも当時出版されたものです。人気作なので、新しい装丁のものや愛蔵版、文庫サイズなどもあるのではないかと思うのですが、これは嬉しかったですね。読みに通いたいけれど、自宅から遠い……と葛藤の時間を過ごしました。
しかし当時、そのコミックスは全部我が家にあったわけではないのです。たぶん最初は最終巻まで、しっかり書棚に入っていたとは思うのですよ。でも気付いた時には、カバーがなくなっていたり、ページが破れていたり、マジックで落書きがされていたりしました。明らかに、子供だった私の所業ですね。それでも父に怒られた記憶がないのですから、親というのはすごいですね。
そういえば、その愛読書は、いつのまにか家族の本棚からなくなっていました。書斎という名の子供は立ち入り禁止の一室に持って行ったのか、それとも手放したのかはわかりません。ただ、それがあった場所にはまた別のコミックスが並びました。それも今思いだせば、しだいにぼろぼろになっていったような気がするのですが、私は相当な悪戯っ子だったのでしょうか。今は読書好きの父に倣い、本を愛する大人に成長していますけれどね。

重量級の辞典と、重大決意

先日少し遠くのショッピングモールを訪れた時に、書店の紙袋を持っている人とすれ違いました。持ち手のついている大きなものです。一冊二冊ならばそんな袋は使いませんから、あれにどれほどのものが入っているかと思うと、すごいなあと羨ましくなってしまいました。なにがって、それをまとめて買える経済力と、こうして広いモールの中を持ち歩ける体力です。
それと同時に、以前、遠くの古書店で掘り出し物の辞典を買った時のことを思いだしました。
あの時はお店の方が気を遣って、紙袋を二重にしてくれたのですが、家にたどり着くまでの間、手が痛かったことと言ったらありません。普段の運動不足がここでこんな災難になるとは、と自分でもかなり悲しくなりました。でもなんとしても持ち帰らねばなりませんから、左右の手に持ち変えたり取っ手にハンカチを巻いたりと策を練り、やっとのことで帰宅した時のあの開放感。書棚にしまった後の達成感は、今でも覚えています。
ちなみにその時点は、残念ながらあまり利用はしていません。ちょっと内容が専門的すぎたんですよね……。ただ、だからといって落ち込んでもいませんよ。逆に、ここに書かれていることを理解できるようになりたいと思えるようになりました。

出会いのきっかけはコラボカフェ

いつだったか、友人がコラボカフェというのに行ってきたらしいです。漫画やアニメの世界をそのままカフェにしてある場所ですね。メニューも登場人物独自のものがあったりして、とても楽しいところだと聞きます。ただ難点が、予約がとりにくいことなのだとか。友人は土日休みの仕事をしていたため、混む週末に店に行くべく、かなり苦労をしていたようです。
そんな彼女が最終的にとった手段は、初対面の人と一緒に出掛けることでした。SNSで共通の趣味を持つ人同士が集まって、同じ席でおしゃべりをするのだそうです。インターネットで知った人に会うなんて、と言われていたのはもう昔のことと、時代の変化を感じますね。
なにせみんな同じものが好きですから、話はかなり盛り上がったようですよ。そこから本名も住んでいる場所も知らないのに、しっかり連絡先を交換して、友達付き合いが始まるのですって。
毎日会う友達や会社の人には言えないことも、距離があるから話せて、そのうちには、趣味の話だけではなく日常の悩みを相談することもあるのだとか。すごいなあと思ったけれど、よく考えてみたら、私の場合もそんな知り合いが多いんですよね。毎日話しているからもう親友とも呼べる仲で、きっかけを忘れてしまっていました。

等身大が大事らしいです

友人宅に遊びに行ったら、壁に身長計が貼ってありました。聞いてみればなんと、小説や漫画に出てきたお気に入りのキャラの身長を把握するために貼っている、とのことでした。「こうすれば、見上げる角度とかわかるでしょう?」と言う友人。確かにその通りだと、目から鱗が落ちる思いでしたよ。登場人物数名分を並べてチェックすれば、大体の雰囲気もつかめますし、原作をより楽しむことができるでしょう。
それを別の友人に言ったら「等身大のポスターを貼ればいいのに」とあっさり言われてしまいました。「私、昔部屋に貼ってたよ」とも。確かにそういう商品が作られている作品もありますよね。しかし先述の彼女が好んでいる話には、そのようなものはないため、別の方法を考えたのでしょう。策は違えど二人とも「なんか見てると元気が出るんだよね」とも言っていました。
私は両名の言葉を聞いて、二人の発想力というか妄想力が、素晴らしいと思いました。たとえば自分が落ち込んだ時、実際は欲しい言葉を貰えることばかりではありません。しかし彼女たちのようにお気に入りのキャラクターを思えば復活できるのなら、これほどお手軽なことはありません。私の好きな子は誰だろうと悩みつつ、いろいろ想像してみたいです。

友のような書籍とともに

以前、読書家の知り合いが「目の前に黒いものが浮かんでいる」と言いました。幽霊などの怖い話ではありませんよ。明るい場所にいると、まるで虫が飛んでいるように見えるというのです。きっと大したことはないだろうけれど、いかにせん気になるということで眼科を訪れた結果、診断名は飛蚊症。年齢を重ねると出てくる症状のひとつだそうです。
人間というのは不思議なもので、あれほど「黒いのが邪魔だ」と言っていた知り合いも、今はすっかりそれがあることに慣れたのだとか。一時期は「とても文字を読む気なんておきない」と不満そうだったのに、今は再び本の虫です。私は彼がその状態を受け入れられたことに安心する反面、体というのは、いつ何が起こるかわからないなと実感しました。たとえば明日、私は事故に遭うかもしれません。いま集めている漫画や小説が、最後まで読み切れるかもわからないのです。
そう考えるととたんに、目の前にある本の山が、宝物に見えてきました。いろいろと辛いことがあった時も、寄り添い支えてくれてきた作品たち。いつどうなってしまうかわからないからこそ、自分が元気な間、たとえそうでなくても、許される間はずっと、傍に置いておきたい友人のような存在です。

付録の鞄の数年後

何年か前に雑誌の付録についていた鞄を、図書館用として愛用しています。本を数冊入れるのにちょうどよいサイズだからです。ただ使い始めた当時は、同じのを持っている人がたくさんいて、ちょっと恥ずかしかったですね。友達と一緒に購入してお揃いになるのは嬉しいと思うのに、知らない人とお揃いになっていると困惑してしまうのだから、不思議なものです。
ただ私は、その愛用の鞄にはちょっと手を加えているんですよ。口が閉まらず中が丸見えだったので、ボタンをひとつ、つけたんです。ネットでジッパーをつけている人もいたのですが、私にはそこまでの技術はありませんでした。残念なことです。でも物が溢れる消費の時代に、このように自分で工夫して長く使えることができるのは、とてもいいことだなあと思います。それがたとえ拙い加工であっても、自分の物ならば問題ないですしね。
そう言えば私の祖母は、私が小学生の時に作った刺し子の布巾を、ずっと大事にしてくれていました。大人になってからは贈ったことすら忘れていたのに、お正月に遊びに行ったら、台所にしっかり置いてあったんですよ。もったいなくて使えなかったといって、綺麗なままでした。私が今持ち歩いている鞄も、こうやって長い時を生き抜くのかもしれません。

映画で心身デトックス

先日、体調不良で数日間寝込んだ時のこと、布団から起き上がるのは食事とトイレの時だけで、時間はたっぷりあるのに、なぜか書棚に手は伸びませんでした。体がよほど疲れていたのでしょうか。眠るにも限界はあるので、ぼんやりしていたら、家人がDVDを貸してくれました。私が普段は見ないような、もはや古典となっている白黒作品や、過去に一世を風靡した名作などです。
書籍もそうですが、どんどんと新しいものが出てきますから、こんな機会でもないと、古いものを見ることは案外少ないんですよね。暇を持て余していたこともあり、私は喜んで、借りたDVDを見ていきました。『ローマの休日』に『E・T.』『千と千尋の神隠し』『天使にラブソングを』などなど。具合が悪くて寝ていたはずなのに、いつの間にか泣いたり笑ったりと大忙しで、普段元気な時よりも、心情的にはよほど癒されたような気がします。
よく、一般論として、神様は乗り越えられない苦労は与えないなどと言うことがありますが、もしかしたらこれは、神様が私に与えてくれた休日だったのかな、と、復帰してから思いました。それ以降は、映画好きの家人と一緒にDVDを見る機会が、断然増えましたよ。気持ちを刺激されて開放できるのは、いい経験です。

積読本がない日々の過ごし方

誰が言った言葉か、事実なのかもわかりませんが、登山家が山に登るのは、そこに山があるからだと聞いたことがあります。それならば私が読書をするのは、そこに本があるからでしょうか。……とはいっても、今は珍しく自室に積読がないのですけれどね。いつもならば何冊かテーブルの上に積み重なっているのですが、つい数日前読み切ってしまい、それ以来本屋に行けていない状況なのです。
毎日文字を追わないとおかしくなるという活字中毒の友人ほどではないけれど、読むべきものがないというのは、なんとなく寂しい気持ちがしますね。しかし今、集めているシリーズの新刊は出ていませんから、知らない方の作品に手を出して冒険するのは躊躇ってしまいます。知っている人のものならば、ネットショップで購入することはしたのですけれどね。
そう考えると、やはりなんとかして時間を作って、書店に足を運ぶのが一番でしょう。そうすれば立ち読みもできますから、初めての作家さんの作品でも、そこまで緊張せずに買うことができます。文庫本一冊は数百円で購入可能ですが、せっかく大切なお金を使うのでしたら、しっかり楽しめるものがいいですからね。そんなことを言いつつも、過去には何度も表紙買いをしている私です。

ジュリエットに恋の相談を

クリスマスの時期に、子供はサンタクロースに手紙を書きます。では女性が手紙で恋愛相談をする相手は誰でしょうか。なんと『ロミオとジュリエット』に出てくるジュリエットなのだそうです。もちろんそうは言っても、実際に彼女が答えてくれるわけではありませんよ。いわゆる代理人の方たちが、丁寧に返事を書いてくれるのだそうです。愛を貫いた女性だから、相談が寄せられるということなのかしら。ただ私はそれを知った時、本当に驚いたのですが、登場人物の二人は、現代日本でいえば中高生なのですよね。
時代が違えば、価値観も違います。だからこその年齢設定であり、事実その当時は、その年齢の人たちも、今よりもずっと成熟していたのでしょう。それにしてもなんて儚い……ただ、命を投げ出すほどに恋に夢中になった、一人前の女性のジュリエットだからこそ、こうして世界中の女性たちから、手紙が次々に届くのでしょう。
また、返事を書いてくれる方たちも、書くことを認めてくれている人達も、ともに素晴らしいですよね。現代は何かと世知辛いことも多いですが、このような話を聞くと、とても心が温かくなります。ちなみに恋の相談の後は、嬉しい報告が届くこともあるようですよ。さらに喜ばしいことです。

外国エッセイの味を楽しむ

先日、美しい写真に惹かれて手に取ったエッセイを読みました。イタリアの食文化に関するものです。文字とイラストで語られるパスタやピッツァやチーズが美味しそうで、食べたいなあと思っていたら、なんと、よく行くスーパーマーケットに、外国食材を集めたコーナーができていました。もちろん本場で食べるものとは違うのでしょうが、私にはこれで十分です。さっそく冷凍になっているピザと、真空パックのチーズを買い求め、翌日のお昼に食べました。
もちろん、傍らにはあのエッセイを置いていましたよ。一人の食事だからと、行儀は気にしませんでした。文字を追いつつ買ってきたものを噛みしめれば、体中にイタリアの感覚が広がります。そういえば、ドイツの本を読んだときはソーセージを食べ、フランスの写真集を見たときは、ワインを飲みましたね。どちらも美味しく、大満足したことを思いだしました。
実際に行かずにしてこんなに幸せに浸れるなんて、私って単純だなあと思いつつも、この手軽さがいいんですよね。今、積読の中にイギリス史の本がありますので、今度どこかで、紅茶とスコーンを仕入れてこようと考えています。後者は料理好きの友達にお願いして、作り方を教えてもらうのもありですね。素敵な時間が過ごせそうです。

夢のある生活を……。


恋愛小説を読んでると、あぁわたしって乙女だなぁなんて実感したりします。普段恋愛に全然興味ないと思ってたのに^^;
夢小説で自分の名前なんか呼ばれたら頭がポーっとしちゃったりして、案外自分ウブで可愛いところがあるんだなってことを知りました(笑)